病弱少女
病弱少女が好きだ。病弱少女という設定だけで萌える。なぜなら…と挙げていくときりがなさそうなので後で述べるが、とにかく病弱少女が好きなのだ。病弱少女は、ただ単に体が弱い薄幸の娘から、正体不明の病魔に襲われ余命幾ばくも無い娘まで様々だ。軽い運動で倒れ、人ごみにもまれては倒れ、これから大事な事をという時に限って倒れ、物語のラストに近づくにつれ倒れる確率は大いに高まる。そんな病弱少女が大好きだ。守ってやりたいとか、救ってやりたいとか、そんな簡単でチープな言葉では言い切れない。
たしかに病弱少女という「記号」だけに反応するのは、いかにも、という感じがするが、好きなものは好きだからしょうがないのだ。そういう属性なのだ。病弱少女とデート一つするにも、苦労は耐えない。人ごみは避けなければいけないし、心臓に悪い遊びは禁物だ。常に病弱少女の体調を気にかけねばならない。しかし、そんな気苦労は苦労のうちには入らない。なぜなら、彼女は病弱少女だからだ。他の娘が病弱少女なみに手の掛かる女だったなら、正直ゆうこりんだろうがしょこたんだろうがぶん殴ってやる。俺がここまで尽くせる相手は「病弱少女」という娘に限る。
病弱少女が素晴らしいという理由は、社会一般が示してくれる。いまや最も一般的ゲームといっても過言ではない美少女ゲームの中に、病弱少女は2,3作あれば一人は必ずいる。絶対居る。いま巷で流行っている「ツンデレ」やら「メイド」など、一時的な物に過ぎない。病弱少女の歴史は、はるか4000年も遡り、古代中国王朝の亀甲文字にその起源をたぐることができる。これはツンデレはおろか、メイドの比ではない。つまり、もっとも昔からメジャーで伝統的で愛されつづけているスタイルが、病弱少女というわけだ。
なぜ、ここまで僕をはじめとして皆に病弱少女が愛されているのか。それは、人間の運命とも言える、死との戦いにある。病弱少女の背中には、常に死がよぎっている。ふとしたきっかけで、…たとえば水浴びをして風邪をひき、それをこじらせて死に至ってしまう。それが、病弱少女だ。病弱少女との物語は、つまるところ、死へのカウントダウンだ。だんだん体力が減っていくのだ。…その、必然的に目前に迫った死との戦いに、僕は惹かれる。孤独に、ただ恐怖に打ちひしがれている病弱少女と共に、戦ってあげたい。支えあい、勇気を分かちあい、どんな苦しい逆境にも、いつも傍にいて励ましてやりたい。そんな気を起こさせる。守ってやりたいとか、そんな単純な問題ではないのだ。ただ、病弱少女のそんな儚さに、愛を感じるだけなのだ。
物語の病弱少女は大抵救われるものだが、稀にどうにもならない時がある。これは演劇の言うところの悲劇にあたるが、元から助かる方がどうかしているのであって、僕はこれを粛々と受け入れ、また作者の意図を探ったりもする。そして涙したりする。どんな結末であれ、病弱少女の傍に最後まで居るのは俺!なのだ。
…まぁ、マジレスすると。無理して体を捧げてくれる娘に(´Д`)ハァハァだったりするわけだ。
PR