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山陽郡にはネットがない。だからたまにしか書き込めないよ。
でも、出来るだけ更新するようにするね。 ぼくがまだ今とは違う立場だったころにも、このサイトでブログを書いていた。 その時は毎日書けた。 なぜなら、ネット環境も整っていたし、何より暇だった。 でも、今のぼくは暇ではない。 いや、暇なのかもしれない。むしろ社会の多くの人から見たらぼくはたぶん暇な部類だろう。 でも、いそがしくても、暇でも、時間をもてあますということは、ないことの方が多い。 時間に追われるのは、いつもだれでも一緒だ。 限りある時間の中で、人は出来るだけ無駄をしないようにと、でも無駄の定義もよくわからないけど、とにかくあがこうと。 時間の流れを感じている時に、一番あせる。 時間の流れを感じている時は、もっぱら時間が余っているときだ。 あまっている時間は切り売りが難しい。 お金に換えるのが難しいという意味だ。 でも、自分の何かの糧にすることは、そう難しいことじゃない。 ただ、その難しくないことを実行するのは骨が折れる。 疲れる。 そう思う自分に情けなくなる。 僕と同じ年代の人達の多くは、外の世界で活躍していたりする。 でも、僕は僕の甘さゆえに、努力が足りないゆえに、人よりも幾分歩くのが遅い。 自分の世界にもこもりがちだ。 プライドは高い。 自分は特別な存在だとどこかで思っている一方で、やはり今の現状は自分が凡人であるという事を如実に現している。 自分が特別だと思う一番多きな依り所は、自分の意識が自分にしかない事に他ならない。 他人の気持ち、他人の能力が、僕には本質的に理解できない。 自分の気持ちと能力は、無意識に掛けられているフィルターを外せば、少なくとも他人よりは、理解できているだろう。 何より自分が望む自分に、何が足りないのかということを、自分がよく分かっている。 努力のスペクトルは、ばらつきがある。 もし自分の努力のスペクトルが「点」であったならと、よく思う。 それは理想の僕だ。僕の理想は唯我独尊だ。 でも、もう遅い。 だから、僕は出来る限りのことをしようとおもって いまからでも遅いけど、しかたないから、今からしようとおもって でも、やっぱり、スペクトルは点じゃなくて やっぱり暇は暇のように思えないから このブログをまた、復活させた。 今日から山陽公だ。 僕は歴史上の人物で、もっとも心を寄せる方が、2人いる。 一人は、陶淵明。隠逸の詩人だ。 もう一人は、後漢最後の皇帝、劉伯和。 本来、こんなHNにするのは恥ずかしいことで。 でも、少しの間だけ、いいかな。なんて。 だから山陽公になりました。 PR |
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