元来映画は、笑ったり泣いたり楽しんだりと、娯楽の側面が強い。ハリウッドに限らず、日本の恋愛映画や三谷幸喜の映画にしたって、娯楽映画という分野に入るだろう。娯楽映画において、観客の感情を操るテクニックは、完成されているといっても過言ではない。一流の脚本家は、客を笑わせるべくして笑わせ、怖がらせるべくして怖がらせる。長い間培われてきたそういったテクニック=法則は、映画をここまで大成させ、市場を広げた大きな要因だ。大きなフィルム会社がバックアップしている映画は、一定の評価を得る為に、そんな法則を基礎においているものも多い。
閑話休題。法則の話はちょっと論点とずれた。
去年ドイツが、ヒトラーをテーマにした映画を、初めて作った。ドイツでは暗黙的にヒトラー関係は禁忌とされているらしい。つい最近、左手だか右手だかを上げているサンタ人形が、ヒトラーを彷彿とさせるとやらで廃棄された。おそらくその人形でヒトラーを彷彿する者は100人に1人も居なかったろう。それでも廃棄するということは、ヒトラーに対する「何か」を未だにドイツは抱えているということになる。そんな中で作った映画「ヒトラー」。内容はヒトラーが自殺するまでの最期の7日間を淡々と追うものだが、この映画を作った人たちは、何を思って取り組んだのだろうか。見当違いかもしれないけれど、今公開中の「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」も「ヒトラー」と同じような旨をもった作品なんじゃないかと思う。
その旨とは、僕は『今だからこそ』だと考えている。どういう事かというと、映画産業は現在、熟成期だと考えていい。老若男女問わず、多くの人が映画を見る。そして、それが映画産業に富とゆとりをもたらす。先ほど挙げた作品達は、その「ゆとり」の部分であると、僕は思う。この論理はなーんか可笑しいとか思うかもしれない。けれど、上記のような作品だけでは、映画産業は廃れる。これは間違いない。ゆとりがあるからこそ、強いメッセージ性を持った、娯楽としてはいかがなものか、という映画が生まれてきたのだと思う。
僕が『今だからこそ』と考える理由はもう一つある。それは、殆どの人が、60年前を知らないからだ。もうリアルに戦争を体験した世代が、おばあちゃんおじいちゃん以上になっている。僕らは戦争を体験する事はおろか、その体験者に接する事さえままらなくなってしまうのだ。思想云々の前に、僕らはまず、過去の事を知らなくてはいけないと思う。リアリティの欠けた、勧善懲悪の殺し合いで、知ったかぶりになってはいけない。出来はともかくとして、今だからこそ、映画にこだわらず、戦争と真摯に向き合った、…或いは戦争と真摯に向き合わせるきっかけとなる作品を、作っていくべきだと思う。
そう言った意味で、近年メディア的役割の、強いメッセージ性と自主性を持った映画が、成長している。そんな映画達が、これからもっと高い評価を得てくれる事を、僕は祈っている。
(ぶっちゃけ、星条旗と硫黄島が見たい、というだけ。の日記。)
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